こんにちは、としこです。
片付いた部屋を想像してウキウキしながら「いざ捨て活!」と挑むものの、管理しきれないモノにあふれた部屋(=現実)を見てうんざり。
モノが多いとどこから手を付けてよいかわからず、片付ける前に意気消沈→身近なものを片付けて終わり→リバウンド・・というパターンに幾度も陥ってきました。
同じような方がたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
買ったときはたしかにウキウキしていたはずなのに、なぜこんなにもうんざりしてしまうのでしょうか。
うんざりしてくる理由と、モノが溜まっていく理由をタメコミアンの視点から考えました。
たくさんのモノにうんざりする理由
たくさんのモノ。それは確かにそのときは欲しかったものだったはず。
時を経ると、それらを目の前にしてうんざりしてきます。
たかが買い物の結果なのですが、必要ではないものが多数あるのは見ているだけで疲れてきます。
情報が多いと疲れるように、モノもたくさんありすぎると同じような気持ちになるのでしょう。
必要なものはそんなに多くない、という話をよく聞きます。
過ぎたるものはたとえモノであったとしても負荷となってくるのでしょうね。
モノには様々な情報が追加されている
たくさんのモノはあなたやあなたの家族の買い物の歴史です。
消耗品は使えば終わりですし、こだわりがなければ似たような機能で安いものやお得なものを買うのは自由です。
あなたが吟味して購入したものは、買った後悔も少なく大切に使うでしょう。
これはわたしの場合ですが、捨て活を通じてたくさんのモノと向き合ったところ、存在すら忘れられていくモノにはそれなりの理由があると理解しました。
- 衝動買い(その瞬間の欲求が満たされたもの)
- 考えたはずだが失敗した、だけど使えるかもしれない
- いつか使うかもしれない
- 買ったことすら忘れていた、何に使うのかすらわからない(ゆえに捨てられない)
- 捨てる決心がつかない(高かった、限定品だった 等々)
- いただきもの、大切な人たちからのプレゼント
- 捨てるのが面倒くさい(捨てるところまで考えて買っていない)
自分で買ったものについては、一言でいえば「深く考えずに買っている」に尽きます。次から考えて買おう!と思っても、なぜか同じような買い物パターンを繰り返すことが多いですね。
さらに、眼の前にあるのはただのモノのはずなのに、そのモノ自体にいろんな追加情報が乗り、捨てる決心が鈍っていきます。
こうして、ただのモノが「捨てられないモノ」となり、どんどん堆積されていくのです。
たくさんの不用品はストレスの元
とにかく少しずつでも片付けを進めないと、たくさんの要らないものに囲まれながら暮らし続けることになります。
たくさんモノがあっても、それが必要なものかつ大切にしているものであれば問題ありません。
そういう場合、多数のモノがあってもその空間は整っていてストレスも感じないでしょう。
いつか捨てないとと思うものに囲まれて暮らすのは地味にストレスが溜まります。
ストレスの元を隠しても効果は一時的。
ストレスの元と向き合い、片付けていくことで気持ちも整理されていくはずです!
捨てられないモノではなく大切なモノを増やすには
捨てられないモノではなく、大切なモノを増やすにはどうしたらよいのでしょうか。
まずは買い物の際の自分のパターンをつかんでいくことが肝心だと考えています。その上で、本当に必要なものや欲しいものを買っていくことで、大切なものを増やしていけるのではないでしょうか。
わたしの例ですが、とにかく「安い」に目がないことがわかっています。
そして「おまけ」にも流されやすいです。
最近は「〇個以上買うと〇%OFF!」「〇個で〇〇円」という割引パターンが多く、この術中にまんまとひっかかっています。
よくよく考えたら無理にもう1個買わない方がお金も無駄にならないのに、少しの割引に目がいってしまい、要らないものを買ってしまうことが多いです。
日常の買い物の中でこの買い物癖を矯正していければいいのですが、なかなかどうしてうまくできません。
癖とは怖いもので、気付いたら「安い!」「お得!」とカゴにバンバン入れ、ネット通販でもポチポチしております。
まずは小さい単位の買い物から「本当に要るものなのか」を考えていく癖付けをしていかなくてはなりません。
不用品を減らすことは、日常の買い物を減らす努力も必要と痛感しています。
まとめ
わたしはまだまだ不用品と格闘中です。
たくさん捨てた!片付けられた!と思っても、ふと視線を別のところに移せば、嫌になるくらいたくさんのモノを目にします。
それでも捨て続けていけばペースが加速し、整った空間が増えていくはずです。
捨て活のいいところは変化を実感できるところ。
くじけずにコツコツ進めていきます。
それではまた。